「第3種」カテゴリーアーカイブ

#015 島原鉄道 島原鉄道線 加津佐駅 構内側線

15ヶ所目は九州、10余年前の長崎より。

2008年に路線延長の半分近くが部分廃止となった島原鉄道線の、廃止区間側の元来終着駅であった加津佐駅。その構内に設けられていた車止めをご紹介したい。

1面1線の “棒線駅” に留置線2本を備えた構造で、上掲の写真には写り込んでいないが、車止め自体は第3種である。
車止めに加えて古まくら木とバラストによる “プロテクター” を備えており、車止め本体のレール部分はポピュラーな3種であれば逆U字形となっているところ、同駅のものは鋭角な山形である点が特徴的であった。
車止めの様子がわかる写真が「裏辺研究所」様で掲載されているので併せてご覧いただきたい。
(「日本の旅・鉄道見聞録」→「駅舎&鉄道路線図鑑」→「島原鉄道」→「加津佐駅」の項より。)

加津佐駅を訪れた当時の私はいまほどには車止めに興味を持っておらず、よもや数年後に廃駅になろうとは想像に至らず、”鉄道ファンあるある” ではあるがもっと記録を残しておけばと悔やまれるばかりである。
この記事の作成にあたり改めて現地の様子をGoogleマップ (航空写真) で確認てみたのだが、現在の加津佐駅とその構内の跡地はきれいに更地となってしまっているようだ。

皆様も撮り逃しにはご注意を。

#014 山陽線 宇部駅 荷役2番線

山口県より14ヶ所目の車止めをご紹介。

今回ご紹介するのはJR貨物 山陽線の宇部駅。同駅はJR山陽本線 宇部駅に併設された貨物駅で、コンテナホーム1面+荷役線2線を備えた、荷役設備に限っていえばややこぢんまりとした駅だ。

車止めは荷役2線でそれぞれ採用されている様式が異なっており、写真の荷役2番は “逆U字” (+置きまくら木) の第3種、もう一方は制走堤を備えた第4種が用いられている。
この2線間での様式の違いについては、構内の配線や建物などのレイアウトからその理由が読み取れるように思われるので、荷役1番線と併せて別の機会にご紹介したいと思う。

この車止めの設置はコンテナホームであるだけに、乗り入れる車両は推進運転されるコンテナ貨車の編成のみで、また配線の面でも同荷役線は本線からスイッチバックのような形式で入線する配置をとっている。そのため中〜高速で車両が衝撃するようなケースはそもそも想定する必要のないこともあり、元来第3種が用いられているのだろう。

宇部 (貨物) 駅は標準的な 12 ft コンテナの他に産業廃棄物の荷扱いも行っており、近隣の工場などからの発送需要が旺盛なのだろうか、小規模な構内でそれらしきコンテナが一層目立って見えた。

現在の荷役設備はコンテナホームのみとなっているが、荷役線に併設された貨物上屋と思しき建造物や、線路が剥がされたかのような跡地、草むした不自然な空き地などから、車扱い貨物を扱っていた過去などを窺わせる形跡も見つけることができ、趣味的探究心をくすぐられるものがある。

車止めなどごく限られた一点への興味をきっかけとして、普段は素通りしてしまうような設備や情景、施設が持つ役割やその過去に目を向けてみるのも趣味を深掘りする良いきっかけになる、そう再認識させてくれる駅だ。

#011 梅小路運転区 転車台 側線

11ヶ所目は私の “ご近所” から。

国内屈指の鉄道関連展示施設である「京都鉄道博物館」。
その前身である「梅小路蒸気機関車館」が先述の博物館へのリニューアルを前に一時閉館することとなり、扇形庫内収蔵車両のいわゆる “頭出し展示” や、閉館を記念した特別展などが催された、まさに閉館直前の時期に撮影した車止めが今回ご紹介するもの。

ごくオーソドックスな第3種車止めで、視認性向上のため “逆U字” の部分が白ペンキで塗られているが、あまり禿げや錆の浮きなどのダメージがない、比較的良好なコンディションの車止め (?) である。
来館者に腰かけられでもしてしまったのか、渡してある補強の棒が曲がってしまっているのはご愛嬌。

今回取り上げた車止めは、同館のアイコンの一つ、国内最大規模を誇る転車台に接続された側線のうちの一本に設けられたものだが、同館…というより正式な鉄道施設としての「梅小路運転区」敷地内では他にもいくつかの車止めを記録しているので、追ってご紹介していきたい。

閉館を記念した、「スチーム号」を牽く8630号と「義経号」の並走展示走行。

近年の国内のSL保存界隈ではC56形160号の本線引退などファンとしては残念な話題もあったが、今後も京都鉄道博物館とJR西日本の活動に期待を込めてエールを送りたい。

#004 信越本線 豊野駅 構内側線

北陸新幹線の金沢延伸開業により、現在ではしなの鉄道 北しなの線の駅となった豊野 (とよの) 駅構内に存在する車止めをご紹介する。
(以下、現 北しなの線を撮影当時を基準として “信越本線” と記載。)

信越本線と飯山線との分岐駅である豊野駅構内には、しなの鉄道への転換以前より複数の側線が存在しており、写真の側線は信越本線の下り本線へ、直江津方へ向かう形で接続されている。

同駅にはかつて複数の留置線や上屋を備えた貨物ホームに加え、小規模ながら転車台も備わっていたようで、個人ブログ「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」にて f54560zg 氏が記されている投稿 (豊野 1978/12/27) に掲載された、氏が1978当時に記録された構内配線と比較したところ、この側線は本線やプラットホームとの位置関係からして当時の下り1番線ということになるようだ。
記事に掲載されている貨物扱い現役当時の写真をつぶさに観察した上で、黄色ペンキの塗り分けパターンや年月を経たくたびれ具合の差分を勘案するに、上掲写真の逆U字形をした第3種車止めはまさに当時のままのものではないかと思われる。

傍には用具庫らしきもの、本線との間には区分用の “センターポール” 、本線との接続部分の分岐器付近には沿線電話機が備わっている点から、この側線は恐らく専ら保線作業のために供用されているのだろう。

月日が流れ周囲の景色が大きく変わろうとも、朽ちるまで勤めを全うせんとするその姿に “道具の本分” のようなものを感じた。