#006 南武線 尻手駅 3番のりば

6か所目は神奈川県から。南武線 尻手 (しって) 駅に設置されている車止めをご紹介したい。

尻手駅には制走堤を用いた第4種車止めが、南武線から分岐する枝線、通称 “浜川崎支線 (南武支線) ” の発着専用である3番のりばに設けられている。
終着ホームであるだけに車両が逸走する危険性は途中駅に比べ低いものと思われるが、線路終端部のその先は駅自体が神奈川県道140号線をアンダーパスする構造となっており、”最悪の事態” を避けるべくの第4種というセレクトなのだろう。

この投稿を書き上げるにあたり資料やウェブサイトをいくつか当たっていたところ、撮影時には気づかなかったのだが車止めの先にも1線分のスペースが残されているように思えてきた。
下記の航空写真中央部に写っている車止めを基準に、画面上側に水色の橋桁が写っている点にお気づきだろうか。

Googleマップより転載

Googleマップより転載

上記2枚目の画像は、駅をアンダーパスしている県道からのストリートビューだ。
道路を跨いでいる構造物のうち、画面右手奥の橋桁より順に5番線 (貨物線), 4番線 (同), 使用していない橋桁 (3番線延長部か?), 南武線下りホーム, 2番線 (旅客線) …の順となっており、尻手駅の配線の中では最後年に増設された5番線を除いて、4線分の橋桁は同様の構造、つまり同時に架橋されたものである可能性が高い。

私が撮影した写真に写っている通り、現在この謎の橋桁の上空には3番線の架線が架線終端部に向かって伸びており、そのためだけに橋桁まで渡すとは考え難く、消去法的に考えるに元々南武線の下り旅客線へと接していた3番線が、後年に終端線へと変更されたのではないだろうか。
具体的な時期については橋桁の銘板などで設置時期が判別できればもう少し絞り込むことができそうだが、南武線として国有化される以前より、その前身である南武鉄道が尻手駅ー新浜川崎駅 (当時) 間で旅客営業を行っていたことを考えると、その当時は…という可能性も想像に難くない。

一つの設備もつぶさに観察することで様々な背景が見え隠れするだけに、そこから生じる様々な想像もそれ自体が楽しくもあり、なかなか興味が尽きないものだ。

#005 奈良線 棚倉駅 安全側線

今回は103系電車の残り少ない活躍の場となった奈良線から。

奈良線は現在、京都駅ーJR藤森 (ふじのもり) 駅間と、途中の宇治駅ー新田 (しんでん) 駅間を除いて単線となっており、一部例外となる駅が存在するものの、その大半の所属駅で “安全側線” が設けられている。そんな数多くの (!?) 安全側線から、沿線での列車撮影の折に記録した1枚をご紹介したい。

奈良線内の安全側線は (ざっと確認した限りではあるが…) 乗越分岐器 + 緊急防護装置 + 積みバラストの第1種車止めという組み合わせで統一されているようで、安全側線としては路線規模に見あった相応のものという印象を受ける。

先のJRグループダイヤ改正では阪和線向け205系の転配も実施され、普通電車に関しては103系一色であった奈良線の車両も少しずつ移り変わりが予想されるのだが、線路設備についても2023年春までの計画で今後新たに延長14km分の複線化が予定されており、当然のように当該区間の (車止めを含む) 安全側線は撤去されることとなるだろう。

“去りゆく老兵” 103系の記録へお出掛けの折には、車止めや転轍器標識など、行き交う列車を見守ってきたシーナリーの脇役にも目を向けてみてはいかがだろうか。

#004 信越本線 豊野駅 構内側線

北陸新幹線の金沢延伸開業により、現在ではしなの鉄道 北しなの線の駅となった豊野 (とよの) 駅構内に存在する車止めをご紹介する。
(以下、現 北しなの線を撮影当時を基準として “信越本線” と記載。)

信越本線と飯山線との分岐駅である豊野駅構内には、しなの鉄道への転換以前より複数の側線が存在しており、写真の側線は信越本線の下り本線へ、直江津方へ向かう形で接続されている。

同駅にはかつて複数の留置線や上屋を備えた貨物ホームに加え、小規模ながら転車台も備わっていたようで、個人ブログ「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」にて f54560zg 氏が記されている投稿 (豊野 1978/12/27) に掲載された、氏が1978当時に記録された構内配線と比較したところ、この側線は本線やプラットホームとの位置関係からして当時の下り1番線ということになるようだ。
記事に掲載されている貨物扱い現役当時の写真をつぶさに観察した上で、黄色ペンキの塗り分けパターンや年月を経たくたびれ具合の差分を勘案するに、上掲写真の逆U字形をした第3種車止めはまさに当時のままのものではないかと思われる。

傍には用具庫らしきもの、本線との間には区分用の “センターポール” 、本線との接続部分の分岐器付近には沿線電話機が備わっている点から、この側線は恐らく専ら保線作業のために供用されているのだろう。

月日が流れ周囲の景色が大きく変わろうとも、朽ちるまで勤めを全うせんとするその姿に “道具の本分” のようなものを感じた。

#003 長良川鉄道 越美南線 富加駅 貨物側線跡

3箇所目は国鉄転換線からのご紹介。

今回ご紹介する車止めは、長良川鉄道 越美南線で運用されていたレールバス、ナガラ1形の最後の稼働車である10号車が引退するとのことで、同車の最後の姿を記録しようと駆けつけた際に撮影したものだ。
枯葉や枯れ枝に残雪で見分けづらいが、レール終端部は僅かにバラスト積みのようになっており、分類上は第1種車止めということになろうか。

富加 (とみか) 駅は国鉄時代には「加茂野駅」と称し、現駅名は長良川鉄道への転換時に併せて改称されたもの。
加茂野駅として開業した1923年から1963年に中止されるまでの40年間は貨物取扱も行っており (正式な扱い廃止は1974年) 、この側線は当時、車扱貨物の貨車を引き込むためのものであったと考えられる。

この側線は駅構内上り線を介して美濃太田方の本線へと接続する形をとっており、写真右手側に写っている緑色の屋根をした駅本屋へ接するような配線となっている。配線や貨物側線としてみた際のホーム有効長から、どちらかと言えば積車状態の貨車を上り列車に連結して出発する、発送扱いの方が多かったのだろうか。

貨物扱いを中止し国鉄から転換されるまでに23年。転換から撮影時までは28年と、流れた50余年の歳月の間には植木が増え、電柱が建ち、花壇が作られ…。側線の自体存在と石積み造りの短いプラットホーム、後年にコンクリートで嵩上げされた下りホームとの対比が、静かに当時の面影を伝えている。

出典: 富加駅 – Wikipedia

#002 紀勢本線 切目駅 構内側線

2箇所目の車止めは、和歌山県は切目 (きりめ) 駅の側線から。

2015年は特急「くろしお」として最後の活躍を続ける381系を記録するべく何度か紀伊半島に足を運んだのだが、スポットへ向かう道すがら、下車した切目駅の構内で見かけたのが写真の車止め。

小柄ながらもコンクリートによる制走堤を備えた第4種車止めで、同駅構内で唯一であるこの側線は、下り本線に和歌山駅方へ向かうかたちで接続されている。制走堤正面上部寄りにはネジ穴と思しきものが水平方向に2つ並んでおり、元々備えていたであろう緩衝材 (おそらくは木製) は、ずっと以前に朽ちてしまったのだろうか。
写真には写り込んでいないが画面右手にはコンクリート枕木が積まれており、現地を眺めた限りでは、この側線は従来より保線用資材の積み降ろし設備として使われているもののようだ。

画面奥のやや左手に写っている建物が駅本屋で、駅周辺の住宅との距離感から、当地のこぢんまりとした雰囲気を感じ取っていただけるだろうか。

切目駅は国鉄時代末期に無人化ののちに簡易委託駅となっているものの、古くからの駅舎が現役で使用されている。
駅前広場の植生、駅本屋の待合スペースや出札窓口・駅務室といった駅務設備、別棟として隣接する便所など、”国鉄幹線ローカル駅” の佇まいが残る良い駅だ。