「長野県」タグアーカイブ

#010 長野電鉄 長野線 長野駅 3番のりば

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身の回りで色々とあり、気づけば1年ほど放置してしまいました。
新しい記事を期待し再訪いただいた方々、申し訳ありません。今後ぽちぽちと再開してまいります。
長きに渡り撮りためた車止め写真のストックそのものは “百景” 到達に足りる分量がありますので、気長にお付き合いいただければと思います。

それでは改めまして百景めぐりの旅、出発です。

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第10ヶ所目の車止めは、私が (勝手に) “魂の故郷” と感じている地のひとつ、長野から。

長野電鉄を代表するターミナル、長野駅は市街中心部が地下線区間となっているため、同地地下に頭端式のホーム2面3線の乗降設備を構える。常用のコンコースや改札口は各線路終端部のさらに “先” に位置していることもあり、ホーム上の側壁越しに、車止めを間近に観察することができる駅だ。

当駅の車止め周りは上掲の写真の通り、車止め装置の (これまた車両設備とは全く無関係そうな…) 配色に加え、消火関連設備の赤い器具箱がアクセントになっており、また車止め装置の基部がホームや隣接する駅の運転関連設備の壁面と一体的に設置されている点に、近年見られる同様の設備とは趣を異にする、ある種の一体感のようなものを感じる。

全くの余談であるが、近畿在住が長い私にとって同駅の雰囲気は一昔前の阪神電鉄 梅田駅や神戸高速鉄道の各駅の雰囲気に近いものがあるななどと、写真を眺めていて思った。調べてみるとどうにも長野駅 (地下開業) の方が圧倒的に新しいようなのだが…。

当時は北陸新幹線の延伸開業を前に、189系 妙高号の最後の記録として度々長野通いをしていた頃で、今回の写真はその撮影後、沿線で夕食を済ませた帰りにスナップしたものと記憶している。
この時の長野行きの話ではないが、上掲の “黒姫山バック” ポイントで撮影後、駅へ向かって歩いていた私に声を掛けてくださった地元のおばあちゃんに頼まれ、後日大きくプリントした写真をお届けし、その返礼にとても美味しいトウモロコシを頂いたりしたことも良い思い出である。

ではまた近々。

#007 アルピコ交通 上高地線 松本駅 7番のりば

今回ご紹介する車止めは信州・松本から。

アルピコ交通 (旧 松本電気鉄道) 上高地線の松本駅はJR東日本との共同使用駅となっており、JR線の改札内へ入場したまま上高地線ののりばへアクセスすることができる。この写真も松本駅へ到着した快速「ムーンライト信州」から下車し、篠ノ井線へと乗り継ぐ折に立ち寄り撮影したものだ。

配線構造としては島式ホームの片側に1線が乗り入れする、あたかもJR駅に横付けするかのような配置で、設置された車止めは第2種。線路終端標識は近年見掛ける機会の少なくなってきたランプ型のもので、変哲のない車止め設備の中で白熱灯の温かみがその存在感を放っている。

車止めそのもの以外にも、針金で固定された古枕木を “前衛” として、浅めのバラスト積みをやや広めに敷くことで、万一停止位置までにスピードを殺しきれなかった際に、車両の逸走を制しつつ、車両側のダメージも極力避けたいという思惑が窺えるようだ。

183系・189系混成のN101編成で運転された、8421M “ムーンライト信州81号” 。2013/9/21 23:37 新宿駅にて。

#004 信越本線 豊野駅 構内側線

北陸新幹線の金沢延伸開業により、現在ではしなの鉄道 北しなの線の駅となった豊野 (とよの) 駅構内に存在する車止めをご紹介する。
(以下、現 北しなの線を撮影当時を基準として “信越本線” と記載。)

信越本線と飯山線との分岐駅である豊野駅構内には、しなの鉄道への転換以前より複数の側線が存在しており、写真の側線は信越本線の下り本線へ、直江津方へ向かう形で接続されている。

同駅にはかつて複数の留置線や上屋を備えた貨物ホームに加え、小規模ながら転車台も備わっていたようで、個人ブログ「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」にて f54560zg 氏が記されている投稿 (豊野 1978/12/27) に掲載された、氏が1978当時に記録された構内配線と比較したところ、この側線は本線やプラットホームとの位置関係からして当時の下り1番線ということになるようだ。
記事に掲載されている貨物扱い現役当時の写真をつぶさに観察した上で、黄色ペンキの塗り分けパターンや年月を経たくたびれ具合の差分を勘案するに、上掲写真の逆U字形をした第3種車止めはまさに当時のままのものではないかと思われる。

傍には用具庫らしきもの、本線との間には区分用の “センターポール” 、本線との接続部分の分岐器付近には沿線電話機が備わっている点から、この側線は恐らく専ら保線作業のために供用されているのだろう。

月日が流れ周囲の景色が大きく変わろうとも、朽ちるまで勤めを全うせんとするその姿に “道具の本分” のようなものを感じた。