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#016 京葉線 東京駅 1〜4番のりば

長らく記事作成を放置してしまいました…。

16ヶ所目は都内ど真ん中のスポット、東京駅地中深くの通称 “京葉地下ホーム“ より。

京葉線の東京駅乗り入れ開始と同時に設けられた線路の車止めで、到着列車のオーバーラン猶予を確保するためなのか、表題で “のりば” と称しつつも、実際に車止めが設置されているのはホーム先端部よりも数十メートル先の位置である。

ホーム終端部から車止めの設置箇所、そしてトンネル空間の終端部へは照明設備がないため暗闇が広がっており、撮影の都合を考えれば三脚を使用した長時間露光となろう。
しかし人影薄いホーム終端部とはいえ駅構内。昨今の周辺事情も勘案し、写真の仕上がり面で多少の犠牲を覚悟しつつ、ホーム柵によるアングル固定と到着列車のヘッドライト (ハイビーム) を拝借して記録に臨んだ。

線路終端には信号・通信関係のものなのかケーブル類が這っており、鉄道施設としては無機質というか小ざっぱりしたイメージのある地下線ではあるが、案外にゴチャついた様相である。

この地下ホームに訪れるたびに頭を過ぎるのは、某テーマパークでの思い出…ではなく京葉線の新宿方面への延伸構想だ (物好き的には) 。
このホームを設置する位置と方向を決定する上での因果とも言うべき根拠の一つが同構想であるが、昨今の少子化や今般の新型肺炎流行をきっかけとしたリモート/テレワーク普及の加速でその意義は少なからず失われたであろうし、この延伸で混雑緩和が期待されるであろう中央線も目下二階建てグリーン車の投入計画が進行中であるからして、ここにある車止めも当面はそのまま与えられた仕事をこなし続けていくのであろう。

#006 南武線 尻手駅 3番のりば

6か所目は神奈川県から。南武線 尻手 (しって) 駅に設置されている車止めをご紹介したい。

尻手駅には制走堤を用いた第4種車止めが、南武線から分岐する枝線、通称 “浜川崎支線 (南武支線) ” の発着専用である3番のりばに設けられている。
終着ホームであるだけに車両が逸走する危険性は途中駅に比べ低いものと思われるが、線路終端部のその先は駅自体が神奈川県道140号線をアンダーパスする構造となっており、”最悪の事態” を避けるべくの第4種というセレクトなのだろう。

この投稿を書き上げるにあたり資料やウェブサイトをいくつか当たっていたところ、撮影時には気づかなかったのだが車止めの先にも1線分のスペースが残されているように思えてきた。
下記の航空写真中央部に写っている車止めを基準に、画面上側に水色の橋桁が写っている点にお気づきだろうか。

Googleマップより転載

Googleマップより転載

上記2枚目の画像は、駅をアンダーパスしている県道からのストリートビューだ。
道路を跨いでいる構造物のうち、画面右手奥の橋桁より順に5番線 (貨物線), 4番線 (同), 使用していない橋桁 (3番線延長部か?), 南武線下りホーム, 2番線 (旅客線) …の順となっており、尻手駅の配線の中では最後年に増設された5番線を除いて、4線分の橋桁は同様の構造、つまり同時に架橋されたものである可能性が高い。

私が撮影した写真に写っている通り、現在この謎の橋桁の上空には3番線の架線が架線終端部に向かって伸びており、そのためだけに橋桁まで渡すとは考え難く、消去法的に考えるに元々南武線の下り旅客線へと接していた3番線が、後年に終端線へと変更されたのではないだろうか。
具体的な時期については橋桁の銘板などで設置時期が判別できればもう少し絞り込むことができそうだが、南武線として国有化される以前より、その前身である南武鉄道が尻手駅ー新浜川崎駅 (当時) 間で旅客営業を行っていたことを考えると、その当時は…という可能性も想像に難くない。

一つの設備もつぶさに観察することで様々な背景が見え隠れするだけに、そこから生じる様々な想像もそれ自体が楽しくもあり、なかなか興味が尽きないものだ。

#004 信越本線 豊野駅 構内側線

北陸新幹線の金沢延伸開業により、現在ではしなの鉄道 北しなの線の駅となった豊野 (とよの) 駅構内に存在する車止めをご紹介する。
(以下、現 北しなの線を撮影当時を基準として “信越本線” と記載。)

信越本線と飯山線との分岐駅である豊野駅構内には、しなの鉄道への転換以前より複数の側線が存在しており、写真の側線は信越本線の下り本線へ、直江津方へ向かう形で接続されている。

同駅にはかつて複数の留置線や上屋を備えた貨物ホームに加え、小規模ながら転車台も備わっていたようで、個人ブログ「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」にて f54560zg 氏が記されている投稿 (豊野 1978/12/27) に掲載された、氏が1978当時に記録された構内配線と比較したところ、この側線は本線やプラットホームとの位置関係からして当時の下り1番線ということになるようだ。
記事に掲載されている貨物扱い現役当時の写真をつぶさに観察した上で、黄色ペンキの塗り分けパターンや年月を経たくたびれ具合の差分を勘案するに、上掲写真の逆U字形をした第3種車止めはまさに当時のままのものではないかと思われる。

傍には用具庫らしきもの、本線との間には区分用の “センターポール” 、本線との接続部分の分岐器付近には沿線電話機が備わっている点から、この側線は恐らく専ら保線作業のために供用されているのだろう。

月日が流れ周囲の景色が大きく変わろうとも、朽ちるまで勤めを全うせんとするその姿に “道具の本分” のようなものを感じた。